2020-12-29

昭和日本画と「光」


 

今回は美大に入って岩絵具を扱った人間なら、考えたことがあるようなちょっとマニアックな話。


ここ5年ほど、やっと五山に代表されるような昭和日本画が展示される機会が多くなってきた。

江戸絵画の図的な部分の研究が一周し、昭和日本画を再考するような時期になってきているのかもしれない。

ただそのような昭和日本画の展覧会を私なりに訪れる中、現代絵画が専門であろう担当学芸員さんの昭和日本画の展示に、本当に残念なライティングがあることがあり、それは大変悲しくなる。制作者側からすると先人の作品に対する冒涜、怒りを通り越して情けなくなる。

昭和日本画はライティングが全く別物だと私は思うからだ。


そもそも日本画滅亡論後の昭和日本画を、フォーマリズムに代表されるようなアメリカ的な平面絵画として捉えてはいけない。

それは昭和の日本画家たちが、日本画滅亡論という逆境により見出した平面絵画と工芸の間にあるような世界でも特異な着地点にある絵画だからだ。


そのような中でも山種美術館や東京国立近代美術館などは、さすがに昭和日本画を扱いなれていて素晴らしいライティングをされていることが多い。

昨今の世田谷美術館で開かれた高山辰雄展のライティングは本当に素晴らしかった。


岩絵具というのは、粒子の大きさが様々にあり、大きさによって番号がわかれている。

同じ絵具でも、粒状に近い荒い粒子のものから砂状、粉状まで、様々な種類がある。

岩絵具は同じ岩の同じ色の絵具でも、光の反射の具合により、大きな粒子なものは鮮やかに見えるし、小さな粉状のものは白っぽく見える。

その上、粒子の荒い砂状のものは、単純に物質としての主張があり、前面に強く張り出して見える。

その点を踏まえて、物質感や絵具の色味、その粒子の重なりを操作して絵画空間の奥行きを、他の絵具よりも広くできるのが岩絵具の素材としての特徴でもある。その点を昭和の日本画家たちは、巧みに操作している。


高山辰雄が、粒子感のほとんどない墨の点描で画面全体を作らずに、長流などの丸筆で画面を立てて、絵具をある程度流しつつ、粒子感のある岩絵具で点描し続け画面を作るのには必然性があるのだ。

そうすることで他の画材ではできないほど絵画空間の奥行きを深く取ることができ、描いているモチーフと響き合って、さらに瞑想的な深みのある高山辰雄独自の絵画空間を獲得する。


そのような作品のライティングは、明るすぎても暗すぎてもいけない。

日本画は、素材を生かした工芸と、平面絵画の中間に位置しているという前提をもとに、作品一点一点のコンセプトと対話しながらライティングを決めなければいけない。


鑑賞者に斜めに入れる光を意識しなかったり、明るすぎると岩絵具の立体感は無くなるし。

暗闇に浮かび上がるように異様に展示室を暗くすると、単なるプロジェクションマッピングのように見えてしまう。

昭和日本画のライティングは、一番難しいように私は思う。




徳岡神泉も山口華楊もその後につらなる五山の日本画家も、日本画に存在価値はないと騒がれた末に、岩絵具という素材を生かし、なんとか日本画にしかできない表現。日本画の素材によってしかできない表現を追求して、平面絵画と工芸の間にあるような特異な着地点を見出したわけで、その素材とガッチリと合わさったコンセプトによって、世界でも特殊な、しかしなんとも魅力的な昭和日本画という芸術が華咲いたのである。


デジタル化によって図を尊び、人の目がどんどんと平板になる中、私にとって昭和日本画はこれからますます魅力的になるだろう。