2022-03-22

芸術の価値



中学の頃の、国語の先生の授業が、いまも心に残っている。

中学の頃に、国語を担当してくれた白髪のおじいさん先生。

自らガンと闘いながら、先生は反抗期たちを前に、教壇に立っていた。



先生の授業はこうだ。



『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色』から始まる平家物語。

巻第一の『祇園精舎』の冒頭を皆に暗記させ、


「この世に、不変なものはあるだろうか?」

と、皆に問いかける。





生意気ざかり達は、なんとか不変なものを見つけて、先生の鼻をあかしてやろうと躍起になる。


教室から見えるコンクリートの校舎も、

このプラスチックの筆箱も、

果ては自らの命も


たしかに。

いつかは朽ちて無くなる。

結局、その授業中、私には、不変なものが見つからなかった。






先生は、美術やクラシック音楽も好きだった。

国語の授業中なのに、美術館での自らの作品鑑賞法や、音楽の素晴らしさを語ってくれた。

今の私が、詳しくはない音楽コンサートが好きなのも。

今思うと、あの先生は常に私の心の中にいるし、授業は今も続いてきた。

古文の活用などより、よっぽどその思想は生き続ける。







そして今、私は先生の問いに、やっと答えることができる。




私たちが生み出す作品こそ、不変であり、延命の装置だと。

一万六千年前の土器を、一千年前の絵巻を、今日の私たちは見ることができる。


芸術の価値は、今も心に残るその思想。

その思想を乗せる延命装置としての作品。


私たちは、延命の作業を繰り返している。

芸術の価値とはそのようなものだと、私は思う。