私は昔から、ものすごく筆が遅い。
作品は常になかなか完成しない。(芸術の完成という意味でなく、とりあえずの完成も含めて)
美大時代を考えても、課題の期間に作品が完成した試しがない。
先生方の作品講評を、いつも未完成でうけていた。
そのためなのか?才能がないのか?いつも実技成績は悪かった。
もともと変なこだわりが強く、自分の思う最高のものが作りたいという欲求だけで常に制作をしているので、学生時代も課題の作品という意識がそもそもなかった。
今考えても、絶対に期間中には終わらないだろうという技法ばかり試していたので、当たり前だ。
絵描きをしている今もあまり変わらないので、なかなか完成しない悪癖は今も継続中。
マルセル・デュシャンの言葉に
「制作の遅さには、時代を乗り越え長持ちする表現になる可能性を増す。」
というような言葉がある。
美術史きっての天邪鬼。
マルセル・デュシャンの言うことだから、額面通りに信じてよいのか?はなはだ怪しいものだが、私はこの言葉にかなり救われた。
人というのは、自らのことはどんなに表向き否定をしていも、実際は肯定したいものだ。
思えば、時代を乗り越える必要の全くない美大受験時代、受験のための課題制作も、私は本当に完成しなかった。
日本画の受験には、昔から静物着彩という課題がある。
花や野菜、果物やワイン瓶のような器物をモチーフとして、時間内によく見て、空間や質感なども意識して、絵の中でモチーフをそのままにリアルになるように描くという課題。鉛筆でデッサンしたものに透明水彩絵具で色付けする課題である。
その中で私は、異様にリンゴを描くのが好きだった。
好きすぎて、リンゴがモチーフの中に含まれた時が特にいけなかった。
課題は、花や器物など、モチーフ全体を描かなければいけないのに、なぜか私はリンゴが楽しくて、リンゴばかり描いてしまう。
リンゴがとりあえずの納得に至る頃には、課題時間は終わってしまう、、、。
作品は絶対に完成しない。
リンゴというのは、一口に赤いリンゴといってもよく見ると、部分によって黄色がかっていたり、ピンクがかっていたりと部分部分によって色味は複雑だ。品種がフジであれば模様はあるし、表面は粉をふいたようにザラザラとした質感をしている。
私にとって、見れば見るほどリンゴというモチーフは複雑で、魅力的なモチーフだった。
またどんなに描いても描いても難しく、うまくいかないことも、私にとっては楽しくていけなかった。
描けば受験のための課題という意識は、いつもどこかにいってしまう。
「花や器物や美大受験なんかはどうでも良いから、このリンゴをリアルに描きたい!!」
そんなこんなで時間内には完成しない。
そんなおそい芸術であった私の受験時代の静物着彩は、時代を乗り越えるそぶりもない。
今現在の日本画作品は、デュシャンを信じたい。