2020-12-23

シンボル

 

撮影・島村美紀



美術は、そもそもキリスト教や仏教など、宗教の教えやエピソードを伝えるために発展してきた経緯がある。

日本画で汚い子供とホウキを描けば意味が生まれるし、西洋画で白百合があれば、そこに意味が生まれる。

絵は絵解きのように、モチーフによって説明されるという歴史がある。



さて、長らく背広にネクタイという服装はサラリーマンの代名詞とされ、コント喜劇でも、現代人の悲哀を表現するような場面でも、長らくサラリーマンと言えば背広にネクタイだった。


しかし現実を見ると、昨今の服装のカジュアル化に伴い果たしてどれだけのサラリーマンが古くからの着こなしで、背広とネクタイを着ているのだろう?

あまり見かけなくなってきた。

電車に乗っても、ネクタイを締めて出勤する御仁は以前ほど見かけない。




ここで、絵画の話である。

自らの表現を考えるとき

何を表現したいのか?

今伝えたいのか?

100年後の人たちにも伝えたいのか?

それを絵描きたちは考える。




何か具象的なモチーフを描けば、途端にそこに意味が生まれる。

そのモチーフの意味性は100年古びないのか?

100年後の鑑賞者に、「この時代、サラリーマンと呼ばれた労働者たちは、スーツというものを着て、ネクタイという布を首に結んで胸に垂らしていた」などというような注釈が必要になることを私は望まない。

ネクタイスタイルは現時点でさえ、もう趣味の服装。



さて今日は、ネクタイを締めて出かけようか。