子供の頃から好きに絵を描き始め、美大に入り日本画や絵画というものを学び、いまに至って制作を続けてくると、絵画というものが、改めて古いメディアであることが実感される。
特にここ10数年は、デジタル化の波にもまれ、絵画を描くという場面以外で使うハードやメディアの変化が激しかったせいか、とみに感じる。
ただ私が歳をとって感じ方が変わったとも考えられるが、
昨今「絵を描くのはもっぱらiPadやペンタブで、アナログで描くことはないし、アナログは難しい。そもそもアナログで色をつけて描いたことがない」という感想を、様々な教える場面で生徒さんから聞く機会が圧倒的になったことを考えると、やはり日本画に限らず絵画は、ますます古くなったのだろう。
いまさら言うまでもなく、今あえてアナログ絵画を描く人は、デジタルやAIが今後表現できるであろうことは何かを考え、逆にアナログ絵画というメディアにしかできない表現とは何なのか?を頭に入れて表現することは、当たり前になった。
そこでデジタル素材では難しい絵の具の飛び散りや、筆触を生かすことが一つの技法として絵画でも多用されるようになってきたわけだが、画像で伝わるレベルのわかりやすい絵具の飛び散りや筆触などの図的な要素も、はたしてアナログだけのものなのだろうか?
最近は、デジタルツールもどんどんと進化し、筆触や絵具の飛び散りなどの表現や、紙の風合いや絵具の混色などの表現は再現できる。
すなわち画像で伝わりきるレベルの工夫を行うのなら、デジタルツールを使い回す技術を学んだ方が、よほど良いように私は思う。
いまのところ、私がデジタルの特徴として考えているのは、デジタルはデータ上は別として、画像化されたときや、印刷されたとしても、その平面性にあると思っている。
デジタル画像は本当の意味で、スーパーフラットである。
アナログはあくまでレイヤーが物質レベルでなので、物質によって良くも悪くも規定されている。
またアナログの強みを考えた時に、言われるであろう大きな作品を作るという強みは、私はあまり重要視していない。
現時点で、モニターの都合やデジタルデータを印刷出力しようにも、耐えうる印刷機がないなどの問題も、それは今後の技術の進歩や、どちらが作るのに安くすむか?という経済合理性の話であって、本質的なメディアの違いからくる表現の強みとは私は違うように思っている。
なので最終的には、アナログの表現の強みは、絵具の飛び散りなどの図的な形や、作品の大きさではなく、そのアナログ素材を使っているという物質性、色料の三原色の特性のみに還元されていくのだろうと私は思っている。
物質性は、やはり現場に行って生の作品を見ないと伝わらない。
画像によって伝わるレベルの表現は、やはり画像というデジタルメディアにすでに載っている時点で、それはデジタル表現である。
物質性から出る強みとは、シュルレアリスムがデペイズマンなどにより生まれた違和感からその世界の先にあるイメージを見せたように。
もしくは、もの派の作家たちが、単なる物質を提示することで、その先にあるイメージを見せたような、物質性から発するある種アウラとも言えるイメージかと私は思う。
ただそのアウラを作品に内包することは、実際は非常に難しい。
同じ図を同じ技法で、アナログ素材を用いて描いても、図の先にあるアウラの感じられる作品になることもあれば、ただの図としか感じられないものが出来上がることもある。
非常に難しいそのアウラを捕まえる作業を。一つでも多く感じられる作品を生み出せるよう研究を進めてゆきたいものだ。