2023-10-01

これから…それから…





最近、シュルレアリスムについて考えていたら、文学、とくに言語と絵画の関係性について考えるようになった。

こと日本画(あえて使おう)については、燕子花図屏風や源氏物語絵巻の例を出すまでもなく、古典文学と日本画の関係性は切っても切れないものとして、歴史上様々な名作が生まれてきた。
ただ近年、私も含め、古典文学を学んだ上で作品作りをする人が、日本画では安田靫彦以降、減っているように感じている。
それは、私も含め現代の人間に共通見解としての古典文学の知識が欠如しているので、安田靫彦に《飛鳥の春の額田王》といわれても、いまいちピンとこない私もいるので、仕方のないことに感じる。
現代では額田王より、ドラえもんやドラゴンボールのほうが、共通見解として成立するから、作家は表現として選びづらかったのかもしれない。




ただ私はこの多様性(もしくは分断)に向かう社会において、特に絵画は共通見解に向かう必要性を最近全く感じていない。
あくまで絵画は一点物なので、デジタルデータのように無限コピーはできないし、絵画はニッチを極めたものであるからこその絵画だと私は思っている。




古典文学と日本画のフィールドは、ブルーオーシャンに見える。
古典文学には、現代からは想像もつかない生活や文化の差があることで、かえって、そぎ落とされた人間の本質があるように最近感じている。
その本質を新しく展開することは、日本画の今後の研究テーマの一つであろうと思う。




しかし私はまだまだ古典文学初心者で勉強中の身。
和歌文学を少々かじって、「現代のラップバトルやラップ文化と近いなぁ」という浅い感想しかない現在。
古典文学や和歌文学に詳しい方々、どうぞ今後ご教授ください。

これから…それから…




※ちなみに画像にある酒井忠康氏の本は、絵画における空間性について読むと良いというアドバイスを知人の学芸員氏からいただき読み始めたもの。
『六人の嘘つきな大学生』という小説は、教えている生徒さんに勧められて読み終わったもの。

「酒井氏の本はまだ読み始めですが、ありがたく今後の研究の参考にさせていただきます。」「小説は飽きさせない工夫を随所に感じ、エンターテイメントとして大変面白く読ませてもらいました。」という伝言をその場を借りて…