私には、作品のアウラをまざまざと見せつけられた経験がある。
世界に一つしかない絵画の力を。美術というジャンルの力をまざまざと見せられた経験だ。
それは忘れもしない2016年。
東京駅の駅舎を利用した東京ステーションギャラリーで行われた『12 Rooms 12Artists』という展覧会での経験だ。展覧会のリーフレットの表紙はルシアン・フロイド作の《裸の少女の頭部》という作品。私は当初、この作品画像を見て、どこにでもある油彩技法で描かれた人物ポートレート作品とタカをくくって、展覧会へ出かけた。
展覧会の導入部から、大画面の絵画などのさまざまな現代美術のコレクションが並ぶ中、進んでゆくとその作品はあった。
けっして大きくはない。たしか30~40cm四方くらいの小さな作品であったと記憶している。私は、その作品を目にした途端にそこから動けなくなった。
絵画を見て涙が湧き出た経験は、これを含めて私には3度ほどあるが、「ものすごいモノを見てしまった」という感動で、その時も私の目には涙が込み上げていた。
真っ白いキャンバスの状態から、実際の空間や物質の、そこにしかない(さらに実際の空間にはない絵画空間を作るための色も加味しながら)色を読み取り、点描かのごとく、細かに読み取った色を一つ一つ積み上げて埋めていく技法の作品。
この技法でこれだけの作品の圧と空間を絵画全体で作ることは、よほどの目と頭を持った画家ではないと描けない代物。
それは油絵具にしかできない、色材の特徴を生かした作品でありながら天才にしか実現できない。
技法はわかっても真似のできる人は、本当に限られる作品。
天性の画家がここにいると思った。
画像ではわからない、絵画作品に宿るアウラの話。