今日8月13日は左利きの生活環境向上を目指し、左利きにも安全に使いやすい道具を各種メーカーに訴えた人の誕生日から、国際的な左利きの日だそうだ。
私は元来左利きで、小さな頃、「右手はお箸を持つ手、左手はお茶碗を持つ手です!」と教える幼稚園の先生に、強烈な違和感を持つ記憶に始まり…
瓶のフタを締める方向や、ハサミが使いずらいのはもちろんのこと、自動販売機のコインを入れる位置や、自動改札機のタッチする場所…
あげるとキリのない、当たり前に右利き向きにデザインされたこの世の中に、違和感を感じつつ成長してきた。
そんな時、何時だったか、どの雑誌だったか?
高校生の頃だったかな?月刊美術だったかな?
昭和を代表する五山と言われた一角。日本画家の加山又造先生の、左利きの哀愁のような文章を見て、「同じように感じている人がいた!」と、心救われた気がしたものである。
左利きはある程度生活の中で、右手も使えるように訓練しないと生きていけないもので、様々に左利き用に配慮されるようになった今の世の中も、私の右手は訓練され続けている。
左利きでよかったと思う時は、ナイフフォークで食す時、左手で持ったフォークを器用に扱えることくらいか。
自らがその立場にあって気づくこと。
私自身気をつけなければいけないと思うのは、
文化というのは、そういうマジョリティによって無意識に形成されているもので、様々な場面で、本当に無意識に、本当に無意識にマイノリティを排除していることがある。
マジョリティの立場に立てば、気づくはずもないので、マイノリティは、マイノリティで、平和に笑って指摘することで、世の中が調和され、多様な文化が形成されたら良いなと。
この左利きの日に思う。