絵描きはいつでも、最低100年後の未来へと作品を遺す気概を持って制作している。
『THE STUDIO』(ザ・ストゥディオ)という美術雑誌がある。
19世紀末にイギリスで創刊された純粋美術からデザインまで、美術の広範なジャンルをカバーした現在となっては大変貴重な資料。
一度私は、この資料に触れる機会があり、100年前の美術雑誌を状態確認のため、実際に中を開くこととなった。その経験は、私にとって大変貴重なもので、100年後の未来から見た現在は、こんな風に見えるということを、ヒシヒシと実感できる体験だった。
1893年から始まる『THE STUDIO』では、印象派の画家たちも現役だ。
状態をチェックする中、ふとページを開き、そこに載った写真を見て私は、
「ルノワールだ。現役の作家だしなぁ…」
と思い、クレジットを見ると、見たことも聞いたこともない作家名である経験は、ルノワールに限らず、数えられないほどであった。
つまり100年後の未来にとって、すぐに誰の作品か?わかるくらいの個性や主張がない限り、全てその作風で100年後に知られている作者の作品に見えるということだ。
恐ろしいことだが、100年という月日とは、そういうこと。
100年後の目を持って、真摯に制作を続けたいものである。
「ルノワールだ。現役の作家だしなぁ…」
と思い、クレジットを見ると、見たことも聞いたこともない作家名である経験は、ルノワールに限らず、数えられないほどであった。
つまり100年後の未来にとって、すぐに誰の作品か?わかるくらいの個性や主張がない限り、全てその作風で100年後に知られている作者の作品に見えるということだ。
恐ろしいことだが、100年という月日とは、そういうこと。
100年後の目を持って、真摯に制作を続けたいものである。