2019-01-20

多様性と拝金主義のジレンマ



多様性が進むと拝金主義が進むジレンマがあるというお話。


《Nikkei 225 index of 1970-1989》 2018年 182×364(cm) 岩絵具,水干絵具,墨,箔,泥,樹脂膠 撮影・島村美紀 


昨年、多摩信用金庫の財団が運営するギャラリーで、個展を開く機会を頂いた。
その機会に、資本主義をテーマにした、矛盾の共存を象徴するメカ龍による作品を私は制作した。
その作品制作によって資本主義や、お金について考える機会を得たので、私なりのアイデアをみなさんとシェアしたいと思う。


お金は、赤瀬川原平の千円札作品ではないが、お札そのものは単なる紙に特殊印刷された図である。大切なのは、そのお札によって、様々なモノと代価可能となる機能。信用とイメージである。
すなわち拝金主義とは、お金のイメージそのものを奉ることを言う。

ニーチェが「神は死んだ」と言ってから久しいが、かつては宗教によって社会が成り立っていた時代があった。キリスト教なり、イスラム教なり、ユダヤ教なり、仏教なり、神道なり、なんらかの宗教が社会の倫理観や個人の希望を形作っていた。しかし、いつからか宗教は死んだ。


個人は宗教から解放され、世界の大半が民主主義と資本主義のシステムとなり、個人の価値観は個人のものとなった。

個人が自由を謳歌し、個々人が欲望を表現できることは、本当に素晴らしい。
ただ価値観の多様性が徹底された世の中になると、私の望むものと隣人の望むものは違ってきて当然だ。
私の欲しいシャツを隣人にプレゼントしても、全くの的外れということは誰もがわかるだろう。
皆が神に祈り、もしくは悟りを目指し、または、たまごっちを欲しがる世の中は去った。

多様性のある世の中は、価値観と欲望の多様性をも生み出す。
そうなると、なんでも代価可能なイメージ。
お金という神さまの登場だ。

今後、神を崇める人々は増えるだろう。
多様性が進むと拝金主義が進むジレンマ。

そのジレンマに対して、プレゼントそのものではなく、相手を思いやるという、人間の構造的な普遍性に目を向ける必要性をと私は思う。