2019-01-14

馬術部の思い出



割れ鍋に綴じ蓋とは、どんな人にもお似合いの人がいるものだという夫婦をうたった言葉だが、人間の役割も適材適所、割れ鍋に綴じ蓋。


…思い起こせば、私は小さな頃から、どうも人に対する勝ち負け、競争心や闘争心が弱い子供だった。

サッカー部に所属しても、チームの勝ち負けより、自らの練習した技が決まるか?リフティングが何回できるようになったか?新たなフェイントができるようになるか?というような自分の技にばかり興味があった。
そんなわけだから、コーチには常に闘争心のなさを注意されていたように思う。

闘争心もなく、自分の技の研究にばかり興味のあった私は、当たり前のごとく、大した活躍もできない。部内でも、いつのまにか浮いた存在となり、中学途中で、サッカー部を退部してしまった。
私の小さな挫折。


そんな私を救ったのは、高校に入り入部した馬術部と、小さな頃から好きで得意だった絵を描くことだった。

絵はもちろん、競争したり、周りに興味を持つ必要がなく、自らの世界に没頭できる世界だ。馬術も自らの動きにこだわり、馬とのコミニケーションに集中するだけで、競技として成績が出やすい競技だった。そんな私は、馬術にどんどんとハマった。

私の所属した馬術部は練習機会の少ない弱小部活。
実際に馬に乗る機会は、基本、週に一度。あとは馬房掃除や馬の世話。
大学まで連なる多くの先輩方に囲まれながら、同学年の部員は私一人という変わった状況。

それでも私がイキイキとハマっていったのは、ただ自らの研究だけに集中できる馬術という競技と、そんな私を自由にさせてくれる優しい先輩方のおかげだったように思う。
私は少ない練習機会を生かすために、乗馬や馬の本を一週間読みまくり、週に一度の練習では、自分なりの試したい技を、コーチに隠れて試していた。


オリンピックに出たり、全日本で活躍するような選手にはもちろん及びもしないレベルではあるが、高校で初めて馬に乗り、週に一度の活動の馬術部としては、それなりになったという自負もある。
障害飛越の選手として、持ち前の強運も作用して出場試合は全て満点。減点ゼロで終えたのは、私の小さな自慢だ。



来年の東京オリンピックでは、世界トップクラスの馬術競技を見ることができる。
あの頃憧れた、国の選手たちを間近に見ることができる機会を、今から楽しみにしている。