最近、当たり前のことをやっと自覚した。
たぶん「そんなこと美大時代に、とっくにみんな知ってるよ」と言われそうなことだ。
それは、「デッサン力とは、描く目である」ということ。
なまじ美大受験予備校などで教えた経験があると、形は正確に取れたほうがいいし。明暗の調子も整っていた方が良い。誰が見てもこれは上手いと思われるようなデッサンを、結果の出るデッサンを、制作の前段階でも、無意識に志向する癖があった。
予備校で教える際も、合格という結果を短い期間で獲得する描き方を、私は積極的に教えた。
しかし、長年自分の制作をしたり、様々な作品を観る経験から、最近になってやっとわかってきたことがある。
画家のデッサンは、他人から見たら形が歪んでいようと、調子が暴れていようと、世界にとって一つの目となることが大事だということ。
デザインは対象が異なるので、話は別だと思うが、こと画家の場合は話が違う。例えば画家たちが、石膏デッサンをやった場合、講師に「形が狂っている。明暗の調子が違う。」などと指摘されたとしても、「私の身体にはこう見える。」と本人が答えられるようなデッサンを目指すことが、正解だとやっと気づいた。
逆説的になってしまうが、画家の場合、唯一無二の「描く目」となることが上手くなることなんだと、いまさらながら気づいた。