2018-08-26

私が異次元美大生だったころ


様々な場面で、自分が教えるような立場に立つと、いかに自分が生徒としてひどかったかが実感されて、さぞや先生方は、大変だっただろうなということばかり思い出したりする。
その分、私が今伺っている場所の生徒さんや、出会う若者がいかに大人でしっかりとしているか、本当にヒシヒシと感じて、感謝の念が絶えない。

思い起こすと…

私の通った美大では、当時、教員免許を取得するものには、専門外の実技授業があり、その中に工芸の授業があった。
私はその中の染色を選択した。

染織科の先生方による体験的な染色(染物)の授業は、非常にわかりやすく、蝋引きによる染色技法を私達に丁寧に教えて下さった。
もちろん最終課題の提出は、そのろうけつ染めによる作品を仕上げて提出となるのだが、、

そこで私は何を思ったのか?
絞り染めを突然始め、いかに深い青が出るのか?ということに興味がうつり、
「絞り染めのほうが、ろうけつ染めより美しい!」「とにかく深い青を出してみたい」
…と、一人、悦に入って、何の疑いもなく、ろうけつ染め課題で、絞り染め作品を提出した。

思えば普段の日本画の課題でも、課題と思って制作した試しはなく、いかに自分の興味を満たし、自分の納得のいく作品ができるのか?ということにしか興味がなかったので、課題という概念がなかった。もちろん、課題ではないので締め切りという概念もない。
一日中、朝から晩までやり続けて、20cm四方しか進まない絵具の盛り上げ技法(今思うと、大変な割に大した効果は生まれていない徒労)をやり続けて、全く途中の状態で課題講評会。

その後も勝手に前の課題をやり続けて、
次の課題の講評会の時に、「前の作品が完成したので見てください!」と言って出していた…もちろん、現課題の作品は途中…。
今思えば、めちゃくちゃだ…。

そういえば、ろうけつ染め課題で絞り染めを提出した工芸の講義。
その後なぜか、無事に単位を頂いた。

聞けば主任先生の「美しい作品じゃないか」という鶴の一声で、なんとか単位だけは頂けたらしい。。
なんとも粋な時代である。
感謝しかない。

今の私なら作品の良し悪しではなく、課題として違うことをしているので、単位はあげられない。謹んで落とさざるを得ない。

今の私の生徒さん方は、私が点描課題と言えば、みんな点を打ってくれる…。
…本当に感謝しかない。

私が異次元美大生だったころ。