2018-01-03

個展【Future Classic】への思い―タイトルについて


今月12日からスタートする私の個展、「Future Classic:未来の古典」

「Future」—未来
「Classic」—古典
今回の個展につけたタイトルだ。
私はそもそも矛盾したものが共生している状態が大好きだ。一見、対立する意見を出し合うことによって、新たな答えが見つかるという考えを好んでいる。
私の人生にとって、矛盾のなかで、より良い答えを探し続けることは、生きることのテーマとなっている。
矛盾について考えるきっかけとなったのは、「人は必ず死ぬのになぜ生きるのか?」という大きな生命の矛盾に触れたことだ。大きすぎる命題に7歳の頃に出会い、そこから現在の私まで思考が続いていく。

私は7歳の頃に通り魔にあい、奇跡的に助かった。1985年の冬のことだ。

通り魔にあっても幸いなことに無傷であった私は、次の日、いつもと変わらず学校へ行った。
教室のドアを開けると、私の事件をテレビで知っていたクラスメイトたちが口々に、
「死人が来た!死人が来た!」
と連呼した。子供というのは、残酷なもので、全く悪気なく私をからかっていた。
先生は、すごい剣幕で
「やめなさい!」と、彼らを叱った。突然見知らぬ男に刃物を向けられたその一瞬と、その後の警察の事情聴取。クラスメイトとの一連の出来事は私に、生死について考えるきっかけと、ある身体感覚を与えてくれた。
それは、人は生きながら死に。生と死は並存して存在するもので、生きている現在、死もまたそこに存在するという感覚だ。私もかなり大人になるまでこのことは、話すこともできなかったが、こうしておおっぴらに話すことができるというのは、ある種、乗り越えたということなのだろう。

画家となり、私は矛盾への思い、思考を「メカ龍」に込めるようになった。機械‐西洋と、龍‐東洋との相反するものの融合と反発。
やがてメカ龍の背景にひしめくグリッドを描き、視覚の錯視現象であるトロクスラー効果‐色の消失現象‐を起こす絵画「Gridragon」を描くようになる。
それが今回の個展のメインとなる作品だ。
龍の顔を凝視すると、左右に描かれたショッキングピンクが錯視により消えてゆく絵画。
絵画を見ようとすればするほどに、消えていってしまう。まさしく、矛盾した世界。
「人は自ら見ようとしている世界を見ている」とも取れるし、「人が見ようとすることは、見ないこと」とも取れる。私の人生のテーマを凝縮した世界だ。

矛盾に満ちた世界の中で、自分なりの答えを見つけ出していくこと。人は必ず死ぬのに生きていく。「Future」と「Classic」。一見対立するかのごとくみえる言葉をつむぎあわせることにより生まれた「Future Classic」という言葉は、私の希望だ。

アウフヘーベンとも言われるその考えは、人間が「未来」を生み出す行為だ。しかし、その行為自体は、過去未来関係なく永遠に紡がれていく「古典」的で大切な姿勢である。


そんな思いを、個展のタイトルに私は込めた。